top of page

日本橋剣友会とは

■日本橋剣友会歴史■

 

 日本橋剣友会は東京都剣道連盟並びに中央区剣道連盟に加盟しており、中央区剣道連盟から委託された指導員のもと活動しています。

 

 設立は1951(昭和26年)4月に組織が立ち上がり1952年(昭和27年)5月24日(中央区剣道連盟設立記念日に設定)に東京都剣道連盟が設立されると直ちに加盟し活動が始まりました。

【剣道禁止の苦難時代】

 

 1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦の敗戦後は、隆盛を極めていた剣道界に壊滅的な打撃を与えました。

 日本占領軍の司令で、学校教育としての剣道は全面禁止となり、一般社会の剣道も厳しい制限を受けることになりました。

 明治28年の設立依頼、剣道の普及、発展に大きな役割を果たしていた大日本武徳会は解散させられて剣道苦難の時代が始まりました。

 

【待望の剣道復活】

 

 1952年(昭和27年)7月、講和条約が発効されるとともに、昭和20年の敗戦移行禁止されていた剣道が解禁となり7年間の空白があったものの全国各地で有志が剣道の復活を目指し活動していたが、東京都剣道連盟が1952年(昭和27年)5月、全日本剣道連盟が10月に設立され活動を開始 しました。

【中央区剣道連盟設立】

 

 1951年(昭和26年)4月に、戦前の日本橋剣道修養会の有志を中心に、日本橋剣友会を 結成し堀留警察署の道場で稽古を開始致しました。

 

 その後、1952年(昭和27年)5月24日に、東京都剣道連盟が設立されたと同時に日本橋剣友会は加盟致しました。1953年(昭和28年)4月に日本橋剣道連盟に改名し中央区体育協会に加盟し中央区剣道連盟山本泰介初代会長(初代中央区長 山本海苔店相談役)が剣道同好者の結集と将来の発展の為に、連盟創設の協力を区内の官庁・法人・商店街の団体に呼び掛けたところ多数の賛同を得た為、中央区剣道連盟を創設する事になり、同年10月18日、第7回中央区体育祭で中央区剣道連盟結成記念剣道大会を東華小学校で盛大に開催致しました。

 

 これに伴い、東京都剣道連盟の登録名を日本橋剣道連盟から中央区剣道連盟に改め、日本橋剣友会は中央区剣道連盟に加盟している団体として現在に至っております。

 

 稽古場所においては当初は堀留警察署の道場や京橋警察署(現警視庁博物館)、さらに日本橋消防署に移転し1967年(昭和42年)4月総合体育館が完成し専用の道場を設けることが出来ました。

 総合体育館が完成後は中央区の剣道大会・審査会・稽古会等が定期的に開催できるようになり、区内の剣道の普及に寄与致しました。

 その後、1996年(平成8年)9月に都内でも有数のさらに広く快適な武道場も完備された総合スポーツセンター(浜町体育館)が新設し現在に至っております。

 

          資料:創立50周年記念 中央区剣道優勝大会プログラムより抜粋

 

【現在日本橋剣友会】

 

現在では、週に2回の通常稽古、月1回の中央区合同稽古、4区合同稽古(不定期)が開催され春と秋に中央区での剣道大会が開催されます。

また、日本橋剣友会の最大のイベントとし12月に子供の部2部門(初心者の部と道具着用の者)と大人の部は初級及び一部の中級者と中級上位者の2部門に分け日頃の稽古の成果を発揮する大会を開催しております。

昇段試験においても、昇段試験前の日本剣道形の指導も先生方から指導を頂くことも可能です。

現在では子供の部(スポーツ少年団)30名、大人の部70名が所属しております。

 

bottom of page